アンにかかわる物語を「アンブックス」という。各タイトルは村岡花子訳に準拠する。
一般に、『赤毛のアン』から『アンの娘リラ』までの8冊の本をアン・ブックスと呼ぶ。8冊の本はアンを主人公とするか準主人公とする「アンの物語」である。これに対し、追加の2冊は短編集で、アヴォンリーの村を舞台とし「アンの物語」と同じ背景設定であるが、大部分の作品はアンとは直接に関係していない。総じて題名が示す通り「アンの周囲の人々の物語」である。 なお、4冊目「アンの幸福」の原題はイギリス版とアメリカ版で異なり、イギリス版はAnne of Windy Willows、アメリカ版はAnne of Windy Poplarsで、内容も少し異なる。
アンが主人公の前6冊を狭義のアンブックスということがある。私にはストーリー上から、また、書かれた時間的近さから前3冊が「アンブックス」と呼ぶにふさわしいと思う。すなわち、少女から始まり、ギルバートと婚約で終わるストーリーが一区切りと思うからである。後3作はアンの夫婦生活であり、小さなエピソードの集まりで、アンの思いやりや手助けのエピソードはあっても、劇的なドラマも試練もない。思うに、赤毛のアンの人気は前3作に集中しているのではないか。後3者は前3作で出来上がったアンのイメージ通りの生活の延長ではないか。後3者ではたとえて言えば、アンは「花咲じいさん」(花の神)であって、「周囲の人々の苦悩を和らげ、幸せに導いていくゆく」。「赤毛のアン」で夢見るおしゃべりな少女として登場し、「アンの青春」で大人の女性に変身する。しかし、内面は少女の面影を色濃く残し、大人にはなりきれていない。「アンの愛情」で真の愛情に目覚め、11歳の孤児は幸福の伝道師に成長する、そういう物語ではないか。
翻訳 題名 | 出版年 | アンブックス |
赤毛のアン | 1908 |
第1作 11歳から16歳まで、 |
アンの青春 | 1909 |
第2作 16歳から18歳まで、アボンリー学校の先生として勤務 |
アンの愛情 | 1915 |
第4作 18歳から22歳まで、レドモンド大学時代、舞台はノバスコシア州のキングスポート市 |
アンの幸福 | 1936 |
第9作、23歳から25歳まで、アンの婚約時代、舞台はサマーサイド村 |
アンの夢の家 | 1917 |
第5作、25歳から27歳まで、アンの新婚生活、舞台はフォア・ウィンズのグレン・セント・メアリー村 |
炉辺荘のアン | 1939 |
第10作、27歳から42歳まで、子育てのエピソード |
虹の谷のアン | 1919 |
第6作、アンの子供たちのエピソード、アンはわき役 |
アンの娘リラ | 1920 |
第7作、アンの末娘リラが主人公 |
アンの友達 | 1912 |
第3作、アボンリーの人々の短編エピソード、アンは出てこない |
アンをめぐる人々 | 1920 |
第8作、アボンリーの人々の短編エピソード、アンは出てこない |
こんにちわアン | 2008 |
赤毛のアン発表100年を記念して書かれたアンの生い立ち、11歳の時、アボンリーへ来る時まで |
調べてみると、翻訳者は随分と多い。完訳されてないものもあり、ファンが多い割に定訳といわれるものがないのではないかと思わせる。私に言わせると抄訳など何の意味もない。はじめてならいざ知らず、後世の人の抄訳など読む価値がない。そこで、先に述べたようにアンブックスを「赤毛のアン」「アンの青春」「アンの愛情」にかぎり、翻訳者を調べると、4人に絞られる。10冊完訳したのは掛川恭子氏、松本侑子氏、村岡花子氏(花岡美枝氏)の3人だけである。
小中学生が読むなら、@「茅野美ど里 訳 - 偕成社」
(抄訳ではない)もよいが、後3者がお勧めである。最も広く親しまれているのは「C村岡花子 訳 - 新潮文庫」であろう。もっとも古くからあり、タイトルを「赤毛のアン」(原題はグリーンゲイブルズのアン)としたのも彼女であるから。それに対し、最も新しいのが「B 松本侑子 訳 - 集英社」である。訳者は現役の作家、文筆活動を続け、更に、アンに関する情報誌、旅行企画なども手掛けている。注釈も豊富だ。文体は人の好みにもよるから、どれが良いとは簡単に言えない。後で翻訳の比較をしてみよう。
@ 茅野美ど里 訳 - 偕成社
本書は新書版で字も大きく、明らかに児童向けである。3部作だけで他のアンブックスは出版されていない。上下に分かれているのも特徴。
氏はアガサクリスティなども翻訳。主として偕成社文庫で出版。
A掛川恭子 訳 - 完訳シリーズ。講談社。
最近文庫化。アンブックス10冊完訳。
ただし扉の詩がない。村岡花子氏に次ぐ翻訳家である。
B 松本侑子 訳 - 集英社。
訳者の研究による注釈が豊富な訳本。テレビ司会からニュースキャスター、作家、エッセイスト、など経験し現在活躍中。多彩なタレントだ。
ブラウニングの詩に始まり、ブラウニングの詩に終わる日本初の全文訳『赤毛のアン』、がキャッチコピー。カナダツアーが計画されている。アンブックス10冊完訳。
固有のHP を持つ。
C村岡花子 訳 - 新潮文庫。
1954年に出版された村岡花子訳の改訂・補訳版。村岡花子 訳というが、実際は孫娘が祖母の抄訳を完訳、補足した。
日本で初めて「赤毛のアン」を紹介した翻訳本。アンブックス10冊完訳。児童書に入っているものは省略文なので注意。
固有のHPあり
年は十一歳ぐらい。白だか黄色だかわからない綿と毛の混紡の布で作った、とても短くて、とてもきちきちで、とてもみっともない服を着ている。色のあせた茶色い麦藁帽をかぶり、帽子の下から、見まちがいもないほど真っ赤な太いおさげが二本、背中までぶら下がっている。小さな顔は青白くて、やせていて、そばかすだらけだ。口は大きく、同じように大きな目は、光の具合やそのときの気分で、緑色に見えたり、灰色に見えたりする。
そこまでわかるのは、普通の観察力のある人だ。もっと観察力の鋭い人には、それ以上のことがわかるだろう。あごがとてもとがっていて、頑とした意志を感じさせる。大きな目は気迫にあふれて、いきいきと輝いている。口もとはやさしくて、表情豊かだ。額はゆったりと広い。
年の頃は、十一歳くらい。黄ばんだ白の服を着ている。綿と毛の混織地で、丈が短く、幅もきちきちで、みっともない代物だ。色あせた茶色のセーラー帽をかぶり際立って赤い髪を、二本の太い三編にして背中に下げている。小さな顔は青白くて、肉が薄く、雀斑が散っている。口は大きいが、目も大きく、その瞳は、光線や気分によって緑色にも灰色にも見えるようだ。
普通の人が見ればこの程度だが、洞察力のある人なら、こんなこともわかるだろう。あごは尖っていて凛々しいこと。大きな瞳は生き生きと生気に満ち、唇は愛らしいが、口元は表情に富み、そして額が広く豊かなこと。
年は十一歳くらい。着ている黄色みがかった灰色のみにくい服は綿毛交織で、ひどく短くて窮屈そうだった。色あせた茶色の水兵帽の下からきわだって濃い赤っ毛が、二本の編み下げになって背中にたれていた。小さな顔は白く、やせているうえに、そばかすだらけだった。口は大きく、同じように大きな目は、そのときの気分と光線のぐあいによって、気取り色に見えたり、灰色に見えたりした。
ここまでが普通の人の観察であるが、特別目の鋭い人なら、この子のあごがたいへんとがって、つきでており、大きな目には生き生きした活力があふれ、口元はやさしく鋭敏なこと、額は豊かに広いこと、
「ギルバート、」頬を染めたアンがいった。「私のためにここの学校をあきらめてくれて、ありがとう。ご親切、ありがたいと思っています。どんなに感謝しているか、わかってもらいたくて、、、、」
ギルバートはさしだされた手をしっかり握った。
「親切だなんて、そんなことじゃないんだ。なにかきみの役に立つことができたらと思っただけなんだ。これからは友達になってくれるかい?昔の失敗を許してもらえたのかな?」
アンは声をあげて笑うと、手をひっこめようとしたが、ギルバートは放さなかった。
「自分でも気がつかなかったけれど、あの日、『輝く湖』の船着き場で、もう許していたの。わたしって、なんて頑固で、まぬけなのかしらね。あのときから―このさい、白状してしまうけど―あのときからずっと、後悔していたのよ」
「ギルバート」アンは顔を真っ赤にして言った。「学校を譲ってくれて、ありがとう。お礼を言いたかったの。本当に親切にしてくれて、、、、、感謝していることを知ってほしかったの。」
ギルバートは、アンの手をしっかり握った。
「アン、別に親切というほどのことじゃないよ。何かして君の役に立ちたいと思ったんだよ。僕たち、これからは友達になろうよ。前に君をからかったこと、もう許してくれたのかな?」
アンは笑って、手をひっこめようとしたが、彼はまだ握っていた。
「池の船着き場に上げてもらった時には、もう許していたのよ。でも、自分では気づいていなかったの。なんて頑固なお馬鹿さんだったのかしら。それに、思い切って白状すると、あれ以来、ずっと後悔していたの。」
「ギルバート」アンの頬は、真っ赤になった。
「あたしのために学校を譲ってくださってほんとうにありがとうございます。あたしとってもうれしかったんです―そして、あなたにそれをしっていただきたかったですわ」
ギルバートは、さしだされて手を熱心に握った。
「なに、べつにたいしたことじゃないんですよ、アン。いくらかでも役に立ちたかっただけです。これからは友達になろうじゃないの?僕の昔のことを許してくれる?」
アンは笑って、手をひっこめようとしたがだめだった。
「あたし、あの日、池のところで許したんだけれど、自分でも知らなかったのよ。なんてがんこなおばかさんだったんでしょう。思い切ってなにもかもいってしまえば―あのときからずっとあたし、後悔していたのよ。」
「ああ、すてきだね」ギルバートは見上げているアンの顔から、目を離さなかった。
「だけど、アン、誤解も別れもない方が、もっと素敵だと思わないかい―忘れなくてはならない思い出など持たずに、共に暮らした思い出だけ抱いて、一生手に手をたずさえてやっていけたら」
一瞬、アンは奇妙に胸がどきどきし、ギルバートに見つめられて、生まれて初めて目のやり場に困り、青白い頬がバラ色に染まった。まるでアンの心の奥底にかかっていたうすいベールが引き上げられて、思ってもいなかった自分の感情と現実を見せつけられたようだった。
「そうだね、美しいことだね」ギルバートは見上げるアンの顔をじっと見下ろした。
「だけどね、もしも二人に別離もなく仲たがいもなかったら、もっと美しかったんじゃないかな、、、、もし二人が手に手を取り合い、別れと誤解の思い出ではなく、二人だけの思い出だけ分かち合って、生涯を送ったなら」
この瞬間、アンの胸は妙にときめき、生まれて初めて、じっと見つめるギルバートのまなざしにためらい、目を泳がせた。青白いアンの頬が、さっと薔薇色にそまった。まるで胸の奥にかかっていたヴェールが持ち上げられ、おもいがけない本当の感情と現実をはっきり見せられてようだった。
と、見上げたアンの顔を、ギルバートは、しっかり見下ろしながら、
「そう、ほんとうに美しいことだよ。けれどね、アン、もしもぜんぜん、はなればなれにならず、行き違いなどなかったなら、、、、、、もし二人が手に手をたずさえて、共に味わった思い出だけをあとに残しながら、生涯を送ったとしたらそのほうがいっそう、美しくはなかったろうか?」
一瞬、アンの胸は妙に高まり、じっと見つめるギルバートの視線に耐えられないものを感じ、目を伏せてしまった。青白い頬がパッと染まった。ちょうど、心の奥にかかっていた薄絹の多いがはずされ、おもいがけない感情と現実を目にした気持だった。
「僕にも夢がひとつある」ギルバートは静かに話しはじめた。「必死になって、その夢を見つづけているんだ、とてもかなえられそうにないと思うことが、よくあるけど。家庭の夢なんだ。暖炉で火が燃えていて、犬と猫がいて、友人の足音にあふれていて―そして、アン、きみがいるんだ!」
アンはなにかいいたかったが、言葉が見つからなかった。幸せな気持ちが、波のように押し寄せてきた。恐ろしくなったほどだった。
「二年前に、きみにきいたことがあったよね、アン。今日また同じことをきいたら、ちがうこたえをもらえるだろうか?」
それでもまだ、アンは口がきけなかった。そのかわりに顔をあげて、ギルバートの目を見つめた。アンの目は、数えきれないほど何代にもわたって、恋に酔いしれた人々の思いを込めて輝いていた。ギルバートには答えはいらなかった。
「僕には、ひとつの夢があんるだ」彼はゆっくりといった。「かなうはずがないと、いくども思いながら、それでも抱き続けてきた。僕はある家庭を夢見ているんだ。炉には火がゆらめき、猫と犬がいて、友達の訪れる足音がひびき―そして君がいるんだ。」
アンは答えようとしたが、言葉がみつからなかった。幸福が押し寄せてきてこわいほどだった。
「二年前、君にある質問をしたね。もしも今日、また同じ問いかけをしたらちがう返事をしてくれますか」
アンはまだ何も言えなかったが、数えきれない過去の世代の人々と変わらぬ、愛の陶酔に輝く目をあげて、しばし、彼の瞳を見つめ返した。その答えで、ギルバートは十分だった。
「僕には一つの夢がある」彼はゆっくりいった。「何度か実現しそうもなく思われたが、僕はなおその夢を追い続けている。僕はある家庭を夢見ているのです。炉には火が燃え、猫や犬がおり、友達の足音が聞こえ―そして君がいる。」
アンは口をきこうとしたが、言葉にならなかった。幸福が波のように押し寄せてきた。おびえるほどだった。
「僕は二年前にあることを尋ねましたね、アン。それをきょう、再びたずねたら、君は別の返事をくれますか?」
それでもなお、アンはものが言えなかった。しかし、数えきれない過去の世代が経てきた、愛の陶酔に輝く目をあげて、アンは一瞬、ギルバートの目を見詰めた。彼はそれ以外の返事を望まなかった。
「村岡花子 訳」は丁寧で古風で物静かに感じる。ですます調を基調に書かれているせいだろう。これが会話まで及ぶのはどうか?村の同級生がそんな会話をするだろうか?と考えると、「掛川恭子 訳」、「松本侑子 訳」はである調で、現代風の訳である。歯切れもよい。アンとギルバートの会話には適当に見える。しかし、アンとギルバートは親しい仲ではない場面が多く、砕けた言い方はしないもの、、、、
わたしは何気なく新潮文庫で読み始めたのだが、たまたま図書館で読んだものが読みやすく、訳者の違いを知った。「アボンリーの教職を譲ってくれたギルバートに礼をする場面」の「掛川訳」が好きである。注釈が多い方がよいなら、「松本訳」がお勧めで、解説書も多い。しかし、生身の女を押しつけられるような印象で、引いてしまう。特にこだわりがないのなら、「村岡訳」が無難だ。丁寧だし、値段も安い。講談社の青い鳥文庫も「村岡訳」(抄訳だけど)だ。